「百田新党」立ち上げは、功山寺決起
「真(しん)があるなら、今月今宵(こよい)。あけて正月、だれも来る」
この歌は高杉晋作が功山寺決起を呼びかけた後に作った即興の歌です。国を思う気持ちがあるなら、正月まで待たずに今すぐ集まれとの意味です。
功山寺決起(挙兵)は、元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作ら正義派の長州藩諸隊が、俗論派打倒のために功山寺(下関市長府)で起こしたクーデターです。
高杉晋作が決起したとき、高杉本人たった一人でしたが、決起を促された騎兵隊ら各隊が次々と立ち上がり、数はおよそ80人になります。
敵となる長州藩は少なくとも3000人、その後ろにいる幕府軍は15万人。誰がどうみても無謀です。しかし、このクーデターは成功し、日本の歴史の大きな転換点になったのです。
功山寺決起
元治元年11月、長州藩は幕府軍15万に囲まれ、降伏を迫られた時、藩の実権を握る保守派は幕府に屈し、降伏しました。
「このままでは長州は潰れ幕府の力は強大になる。日本の改革は頓挫する」
高杉は騎兵隊に決起を促しますが、時の隊長は「決起は無謀だ」と拒絶、それも当然です。騎兵隊は300人、長州藩は3000人、幕府軍は15万人です。
高杉は御盾隊、遊撃隊、力士隊らを回って、藩の保守派を倒すための決起を呼びかけます。
高杉は、集合の場所と期限を定めました。場所は下関功山寺、時は元治元年12月15日夜。
下関は安倍総理の選挙区です
高杉が決起を促した時の状況
TNWの駄文より、動画の方がわかりやすいと思い、youtubeにあった動画を載せます。この場面は大好きで、これまで何度も繰り返し見てきました。
高杉晋作が決起を促す場面
各隊は無謀だと拒否
(ソース:武道塾チャンネル)
上記の高杉晋作と各隊のセリフを置き換えてみると面白いことに
H氏(正義派)「これからJ民党の奴らを討つ。共に戦う同士はおらんか。このままでは日本は滅びる。日本が滅びれば君たちも滅びる。座して酒を飲んで滅びるのを待つつもりか」
J民党員(俗論派)「我々は滅びるのを待っているんじゃない。LGBT法案を撤回すべく、J民党の重鎮連中と交渉中で返事を待っとるんじゃ!返事次第ではそれ相応の覚悟がある」
H氏「あまい!LGBT法案を出したのJ民党じゃない。その後ろにいる(変態ボケ老人の)アメ○カだ。(こら、エ○ニュエル、ええ加減にせい!ぼけ!!)諸君は日本を滅ぼそうとしている敵からどのような返事を期待しとるんだ!あまい、あまい!今戦わにゃ、悔いを千載に残すぞ!戦うんじゃ、戦おう!」
J民党員「Hさん、おんしの考えは分からんでもねえが、過激すぎる!」
H氏「どこが過激じゃ」
J民党員「J民党とアメ○カと2つを敵に回してどんな勝算があるっちゅうんです!」
H氏「勝算はない!蟷螂(とうろう)の斧だ」
J民党員「無茶苦茶じゃ、話しにならん」
J民党員「Hさん、どうか冷静になってください。戦え戦えと言っても無謀極まりないとお思いにはなりませんか」
H氏「思わん、これは正義の戦いじゃ」
J民党員「我々は忠義のために命を捨てることはできません。やるっちゅうなら勝手にやってください。我々はJ民党からの返事を待ちます」
H氏「誰もおらんのか?俺についてくるものはおらんのか?わかった。おんしらの心底見えた。おんしら卑怯もんじゃ!」
J民党員「なにー、もう一度言ってみろ!」
H氏「あー、何度でも言おう。勝算のある戦さなら誰でもやる!おんしらがJ民党員になった時、日本という国に、おんしらの故郷(ふるさと)を滅ぼそうとしたから立ちあがったんじゃなかったんか!今のJ民党がそうじゃ、俺やおんしらの故郷(ふるさと)を滅ぼそうとしとる。俺は俺の忠義、おんしらにはおんしらの日本への忠義があるはずじゃ!。ないんか!無いやつを俺は卑怯者、腰抜けというんじゃ!」
(登場人物及び団体は架空のものです。念の為。w)