オズワルドはスパイだった/CIAはオズワルドを監視していた/オズワルドは射撃が下手だった:JFK暗殺ファイル
1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領はテキサス州ダラスのディーリー・プラザ(Dealey Plaza)で暗殺された。公式な調査を行ったウォーレン委員会は、リー・ハーヴェイ・オズワルドが単独犯として、テキサス教科書倉庫の6階から発砲したと結論付けた。しかし、その後の調査や機密解除された文書によって、オズワルドの正体や事件の背景には依然として多くの疑問が残る。
機密解除されたJFKファイルによると、オズワルドはスパイとして活動していた(*0)。彼はメキシコシティで2度にわたりソ連へのビザ申請を行っており、当時のロシアの領事官から「メキシコで最も効果的かつ危険な諜報員」と見なされていたという記録が残されている。

オズワルドは元アメリカ海兵隊員でありながら、1959年にソビエト連邦への亡命を試み、モスクワで生活した過去を持つ。さらに、ソ連では射撃訓練を受けたものの、今回公開されたJFKファイルにより「射撃が下手」(*1)と評価されていたことも確認されている。この事実は、後に彼がケネディ大統領を正確に狙撃したとされることと矛盾し、多くの疑念を生じさせた。
ウォーレン委員会の報告によれば、オズワルドはテキサス教科書倉庫の6階東端の窓から発砲したとされる。この建物は事件当時、オズワルドの勤務先であり、彼が暗殺計画を実行する上で都合の良い場所にあった。
発砲されたとされる3発の弾丸のうち、少なくとも1発が「マジック・ブレット(魔法の弾丸)」と呼ばれる弾丸である。この1発の弾丸は、
• ケネディ大統領の背中に入り、喉から出た
• その後、テキサス州知事ジョン・コナリーの背中を貫通
• さらに肋骨を粉砕し、胸から出て右手首に命中
• 最終的に太ももに当たり体内に残る

という奇妙な軌道を描いたとされる。この理論の信憑性には疑問が持たれ、「単独犯説では説明できない」との指摘が絶えない。
さらに、オズワルドが発砲したとされる6階の窓からケネディ大統領の車列までの距離は約81メートル(265フィート)とされる。短時間で正確に3発命中させるのは困難であり、実際にCBSニュースが行った再現実験(*2後述)では、同じ状況で11人の射撃手が試みたが、全員が同じ成果を上げることはできなかった。
JFK暗殺の謎をさらに深めるのが、オズワルド自身の最期である。彼は事件から2日後、移送中にジャック・ルビーによって射殺された。ルビーはダラスのナイトクラブの経営者で、マフィアやCIAと関係があったとされる人物だった。

FBI長官J・エドガー・フーバーは、オズワルドの死亡後すぐに「事件はオズワルド単独の犯行であると早急に発表し、陰謀論が広がるのを防ぐように」と指示を出している。これは、政府が事件の真相を隠そうとした可能性を示唆している。
今回解除されたJFKファイルによると、CIAはオズワルドを監視していたが、その情報をウォーレン委員会には提供しなかったことが明らかになっている。また、オズワルドは暗殺の数週間前、ダラスのナイトクラブでジャック・ルビーと接触していた可能性があるというCIAのメモも発見された。

(*0)このJFKファイルによると、リー・ハーヴェイ・オズワルドはスパイであり、メキシコシティでソ連へのビザを2度申請していた。
ロシアの領事官によれば、彼は「メキシコで最も効果的かつ危険な諜報員」と見なされていた。
🚨BREAKING: This JFK file shows that Lee Harvey Oswald was a Spy, attempted to get a Visa into the USSR from Mexico City, twice.
He was considered “the most effective and dangerous intelligence officer in Mexico” by Russian consular officer pic.twitter.com/XIZcc94ls1
— The Patriot Oasis™ (@ThePatriotOasis) March 18, 2025
(*1)リー・ハーヴェイ・オズワルドは、ソ連で射撃訓練を試みた際、「射撃が下手」として知られていた。
WOAH.
Lee Harvey Oswald was known to be a “poor shot” when he tried target firing in the USSR. pic.twitter.com/YFjR2qUYIc
— Ryan Fournier (@RyanAFournier) March 18, 2025

この1963年9月24日付のCIAのメモは、リー・ハーヴェイ・オズワルドがJFK暗殺の少なくとも59日前からCIAに監視されていたことを示している。
オズワルドはメキシコシティのソ連大使館と接触し、ソ連への渡航について問い合わせていた。この文書は、CIAがオズワルドを利用していた可能性を示唆している。
彼の監視された訪問と、ソ連との関係がありながら何の措置も取られなかったことを考えると、彼は単なる孤立した存在ではなく、監視下にあった駒、もしくはCIAの協力者だった可能性がある。
CIAやFBIが「監視していた人物」が、その後凶悪な犯罪を犯したという話を、これまでに何度聞いてきたことだろうか?
UPDATE: JFK Files
This CIA memo from September 24, 1963, shows Lee Harvey Oswald was actively being monitored by the CIA at least 59 Days before JFK was Assassinated
Oswald made contact with the Soviet Embassy in Mexico City, where he inquired about travel to the USSR.
This… https://t.co/WxVwPtSAHy pic.twitter.com/oAE4gMyLsn
— MJTruthUltra (@MJTruthUltra) March 18, 2025

(*2)1967年、CBSのニュースは、リー・ハーヴェイ・オズワルドがJFKを狙撃することが可能かどうかのテストを行った。これは “ウォーレン・レポート “と呼ばれた。
In 1967 CBS news conducted a test to see if it was possible for Lee Harvey Oswald to hit JFK. This was dubbed “the Warren report” pic.twitter.com/1dPV5VPAfO
— Historic Vids (@historyinmemes) September 5, 2024
CBSニュースは、ディーリー・プラザの高さと距離を正確に再現するタワーとターゲット軌道を建設した。ターゲット軌道はエルム通りの角度に正確に合わせられ、ターゲット(FBIの標準的なシルエット)は電動モーターで時速11マイル(約18km/h)で移動した。これは大統領専用車の速度とほぼ同じである。
オズワルドのものと同型・同年代のライフルが使用され、そのライフルに装着されていた4倍スコープと同じものを装着。11人のボランティア射撃手が交代で、3発ずつの弾倉を装填して移動するターゲットに向けて射撃を行った。
ボランティアの射撃手たちは、イタリア製マンリッヒャー・カルカノ銃にはほとんど慣れていなかったが、屋内射撃場で事前に練習する時間が与えられた。ほとんどの射撃手はボルトアクションライフルの経験者であった。
各ケースにおいて、最初の発砲は、ウォーレン委員会が推測した「最初の発砲地点」(約175フィート=約53mの距離)で行われ、6秒間で距離は270フィート(約82m)に伸びた。
結果は以下のようにばらついた:
🔸 メリーランド州の州警察官の1人は、5秒未満で2発命中、1発がわずかに外れた。
🔸 別の州警察官は、ベストタイム5.4秒で1発命中、2発はわずかに外れた。
この結果は、ウォーレン委員会の結論を裏付けるものだったのか、それとも単独犯説に疑問を投げかけるものだったのか——?

参考記事

