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田母神俊雄氏「南京大虐殺は虚構」鎌倉市規模の南京で30万人死亡なら死体で溢れるはず 国際報道も皆無

中国

田母神俊雄氏「南京虐殺などあり得ない」 国際都市の南京は各国の通信社が存在したが、報道も抗議も一切なかった

田母神俊雄氏は平成21年8月6日の講演で、南京事件について、次のように述べている。

日本が侵略国家だとか言われているわけですね。中国がよく「日本が侵略国家だ」「南京大虐殺をやった」と言いますけれども、日本が中国に初めて軍を置くのは1901年のことです。

これはその前年、1900年6月初めに「義和団の乱」というのが北京で起きました。これは中国の白蓮教という宗教集団が数万人武装し、北京にある各国の公使館区域を取り囲んだのです。その中でドイツ人や日本人がまず殺されました。中に住んでいる外交官やその家族の命が大変危ない状況になったのです。

当時、北京でリーダーシップを取っていた国はイギリスです。イギリスは日本に対して「ヨーロッパからでは軍の派遣が間に合わない、遠すぎる。従って近くの日本から軍を派遣してくれ」と要請しました。しかし日本は、当時中国に領土的野心があると思われるのはまずいということで、これを断ったのです。しかしイギリスから何度も要請され、ついに広島の第5師団から1万人を北京に派遣することになったのです。

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今でいうところの約2万人の他国籍軍が組まれました。そして約2ヶ月かかって、北京の公使館区域は8月中旬、日本軍の働きによって主として解放されたのです。しかし日本が最も働いたにもかかわらず、日本はロシア、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツなどと比べ、一番少ない賠償金をもらうことにして北京から撤退しました。

本来、各国の外交官やその家族を守るのは受け入れ国である清の責任です。しかし清はこれを果たさず、むしろ西太后という人物がこれを扇動した節があるわけです。従って二度と再びこういうことがあってはならないということで、清は1901年に11カ国との間で「義和団事件最終議定書」を結ぶことになりました。

これに基づき、各国は「清が守ってくれないから、それぞれ軍を派遣して自国の外交官や家族、国民を守る」ことにしたのです。日本もこの条約に基づき、当初は2千数百名の軍を北京に置くことになりました。これは日米安保条約に基づいて日本に駐留する米軍と同じ位置づけであり、侵略軍ではありません。

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そこから36年の月日が流れます。1937年7月7日、七夕の夜、北京郊外の盧溝橋で「盧溝橋事件」が起きます。これが「支那事変」の始まりだと言われています。左翼の人たちは「日本が中国を侵略するために盧溝橋事件を起こした」と言いますが、今では全く違うことが明らかになっています。

この7月7日の晩、日本軍は盧溝橋で夜間演習をしていました。この軍は36年前の義和団事件最終議定書に基づき、中国に駐留することを許された軍です。人数は当初の約2倍、5千名を超えていましたが、いずれにしろ条約に基づいた軍です。そして、この演習では実弾を携行していませんでした。実弾を持たないということは、侵略の意思がなかった証拠の一つです。

夜10時半過ぎ、弾が飛んできました。日本軍内で「誰か撃ったか」と調べましたが、実弾を携行している者はいませんでした。日本軍は中国側に「調べてくれ」と申し入れ、中国は「善処する」と答えました。しかしまた弾が飛んできます。夜中に繰り返し弾丸が飛んできましたが、日本軍は一発も発砲していません。

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7月8日朝4時半過ぎ、明るくなってくると、もう隠れる場所がありません。やむを得ず日本軍も応戦を開始しました。しかしその一方で中国側に使者を派遣し、現地で停戦協議を続けました。そして7月11日、現地停戦協定が調印されました。

しかしその後も日本軍に対するテロ行為が繰り返され、何人も殺されます。7月29日、北京郊外の通州で、日本人居留民210数名が極めて残虐な方法で殺害されました。目をくり抜く、頭を割る、鼻や耳を削ぐ、腹を裂く、男性器を切り落とす、女性の胸を切り裂くなど、惨殺されたのです。それでも日本は戦争を避けようと停戦協議を続けました。

しかし8月に入ってもテロは止まず、大山中尉殺害事件などが起きます。そして8月13日、上海で「第2次上海事変」が起き、中国側は地上だけでなく空からも日本人居留民に大規模攻撃を行いました。日本人がまた多数死亡しました。

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ここに至って初めて日本政府は「もう戦争をやるしかない」と決心します。そして軍を投入し、当時の中国の首都・南京へ進軍します。約4ヶ月後の12月13日、南京は陥落しました。中国は「30万人の虐殺があった」と主張しますが、当時南京は国際都市であり、各国の公使館や通信社が存在していました。もし本当に虐殺があれば、日本兵が老人を殴っただけでも抗議が来る時代ですから、国際的な抗議や電報がないのは不自然です。実際、南京攻略戦について日本政府への抗議や公電は一度もありませんでした。

森喜朗元総理大臣の父、森茂喜少尉もこの戦いに参加し、戦後は石川県根上町の町長を30年以上務めました。本人は「南京は非常に平穏で、大虐殺などなかった」と証言しています。南京は日本で言えば鎌倉市ほどの規模です。ここ30万人も殺せば足の踏み場もないはずです。よって虐殺説は虚構です。

この経緯のどこが「侵略」なのでしょうか。(ソース:広島の平和を疑う 田母神俊雄氏講演)

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