百田尚樹氏、終戦80年談話を発表「日本だけが悪かったという歴史観は誤り」
・ハルノートを受け入れれば、即死は免れたが、緩慢な死が訪れたことは疑いない。そうなっていたなら、当時の世界のほぼ全ての有色人種と同じく、日本は欧米列強の支配下に置かれた。
・日本はアジア諸国を侵略したとする論があるが、これも正確ではない。日本が戦った相手は、東南アジア諸国を植民地にしていたイギリス、フランス、オランダ、アメリカであり、当時、ベトナム、インドネシア、マレーシア、カンボジア、ミャンマーといった国々は存在しない。
・世界史を俯瞰すれば、日本軍の戦いによってアジア諸国の独立が進んだことは確かであり、日本の果たした役割が小さくなかったと見るのが自然。
・大東亜戦争の責任が日本のみにあるという考え方は正しくない。「日本だけが悪かった」という一方的な見方で、何世紀にもわたる欧米列強のアジア支配の歴史や、明治維新後の日本への列強の圧力を考慮に入れず、大東亜戦争の本質を理解することはできない。
・強い自虐思考は歴史と戦争への理解を歪め、思考停止を招く危険さえ孕む。
・戦後八十年、戦争の「罪」は償ったと言える。少なくとも、今を生きる日本人がその罪を背負う必要はない。

令和七年八月十五日、日本保守党代表の百田尚樹氏は、大東亜戦争終結から八十年の節目に談話を発表した。百田氏は、戦争の直接的原因を昭和十六年八月の米国による石油全面禁輸とし、当時石油の八割を米国に依存していた日本にとってこれは「国家の死」を意味したと指摘。
石油備蓄は短期間で尽き、経済活動は停止に追い込まれることが予想され、米国はその影響を理解していたという。
その状況下で日本は、ハルノート受諾による緩慢な死か、資源確保のための南方進出かを迫られ、どちらを選んでも容易ではなかったと述べた。

背景には十五世紀以降続く欧米列強の有色人種支配があり、アジア・アフリカ・中南米の多くが植民地化されていた時代に、日本は明治維新以降の近代化と日露戦争勝利で独立を守ったと強調。
第一次世界大戦後には国際連盟で人種差別撤廃を提案したが米英に阻まれ、その後満洲問題や日系人排斥政策などで米国との対立が激化したと説明した。
百田氏は、日本が戦った相手は東南アジアを植民地支配していた英仏蘭米であり、当時ベトナムやインドネシアなどは存在しなかったと指摘。
日本の占領統治に資源収奪や厳しい面があったことは認めつつも、結果的に戦後の独立を促した面があるとし、シンガポールのゴー・チョクトン元首相、インドのラーダクリシュナン元大統領、ビルマのバー・モウ元国家元首の言葉を引用した。

また、戦後も多くの日本兵が現地に残り、インドネシア独立戦争などで現地の人々とともに戦ったことを特筆。こうした歴史的経緯を無視して日本だけに戦争責任を負わせるのは偏った見方であり、「日本だけが悪かった」という一方的な見方で、何世紀にもわたる欧米列強のアジア支配の歴史や、明治維新後の日本への列強の圧力を考慮に入れず、大東亜戦争の本質を理解することはできない。自虐史観は歴史理解を歪め国際関係にも悪影響を与える、と警鐘を鳴らした。
戦後日本が驚異的な復興と経済発展を遂げ、占領地を含む途上国に援助を行い、かつての敵国米国とも強固な同盟を築いたことを挙げ、戦争の「罪」はすでに償われており、「今を生きる日本人がその罪を背負う必要はない」と結んだ。(全文👉日本保守党)
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