【ヨーコ・オノの娘、沈黙を破る――1971年に誘拐され、カルトで育った過去を語る】
2025年5月25日付の「The Post Millennial」によれば、アーティスト・ヨーコ・オノとその元夫アンソニー・コックスの娘キョーコ・オノ(61)が、幼少期に誘拐されカルトで育った過去を明かした。1971年、親権争いの末に父コックスに連れ去られ、スペインやアメリカを転々としながら、後に性的虐待疑惑で解散したカルト団体「リビング・ワード・フェローシップ」で育てられたという。
当時、ヨーコ・オノとジョン・レノンはキョーコを取り戻そうとしたが、逆に誘拐容疑で拘束される事態も発生。裁判ではキョーコが父を選び、母との別離が決定した。キョーコは「母とジョンは忙しく、私にはナニーがついていた。一方で父と継母のもとでは自分が中心だった」と語る。
その後コックスはキョーコをアメリカに連れ戻し、同年のクリスマスイブにはオノの面会権を無視して娘を返さなかった。
「ヒューストンを出てから、私たちは逃亡生活に入ったの」とキョーコは語る。「ロサンゼルスに移って、ヒューストンにあった私たちの教会とつながりのある別の教会に保護してもらった。」

だが、信者から「キョーコを母親のもとに返すべきだ」と告げられ、父コックスはそれに反発した。最終的に彼らは「ザ・リビング・ワード・フェローシップ」という団体に加わった。この団体は後に性的虐待の告発を受け、2018年に解散している。
キョーコはこう語る。「今、思えば最大の皮肉は、私たちはビートルズやジョンとヨーコの“カルト的世界”を離れて、別のカルトに入ったってこと。あの二人を信奉する人たちは、ある意味でカルト信者そのものよ。」
彼女は、母やレノンの有名さに恐怖を感じていたという。「あの単純なキリスト教のコミュニティの方が、よっぽど安全で、平穏な暮らしだった。」
大人になってからキョーコは母ヨーコ・オノに連絡を取り、再会を果たした。そのときすでに彼女は結婚し、公立学校の教師として働いていた。
「その頃には、私は6年も教職についていて、子どもや家庭のことを両親以上に理解していたと思う。母はすぐに私に会いたがって、それからは一緒に過ごす時間が始まったの。」

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背景
キョーコは、ヨーコ・オノとその2番目の夫アンソニー・コックス(最初の夫は一柳慧)の間に1963年に生まれた娘。その後、オノとコックスは離婚し、オノは1969年にジョン・レノンと結婚。離婚後、キョーコの親権をめぐってヨーコとアンソニーが争うことになった。
■ 「連れ去り」の意味
「連れ去り」は、法的な親権が確定していない、または面会や引き渡しが争点となっていた状況で、一方の親がもう一方の同意なしに子どもを国外(この場合スペイン)へ連れて行った行為を指す。
アンソニー・コックスは1971年にキョーコを連れてスペインへ渡り、再婚相手のメリンダと共に「瞑想幼稚園」に入園させた。
一方で、ヨーコ・オノはジョン・レノンと共にキョーコを取り戻そうとスペインに渡ったが、逆に誘拐容疑で現地警察に逮捕されるという事態に発展。結果的に裁判となり、キョーコ自身がどちらの親と暮らすかを選ぶよう裁判官に求められ、彼女は父親を選んだ。

参考記事

