ミレイ大統領、第二次世界大戦後のアルゼンチンへのナチスの到来と隠蔽に関する秘密ファイルを機密解除
5月5日
TGPによると、アルゼンチンのハビエル・ミレイ大統領は、第二次世界大戦後に同国へ逃亡・潜伏したナチス戦犯に関する1,850件以上の機密文書を公開した。この措置は、シモン・ヴィーゼンタール・センターからの要請に応じて実施されたものであり、アルゼンチンの歴史における暗黒の一章を明らかにし、透明性を高めることを目的としている。
公開された文書は、警察記録、諜報報告、新聞記事の切り抜き、銀行取引記録、国防省の秘密報告など多岐にわたり、国家公文書館(AGN)を通じて2025年4月29日より政府の公式ウェブサイト上で一般公開された。これまでは一部の研究者に限られていたアクセスが、今回の公開によって広く一般に開放されたことになる。

文書には、ヨーゼフ・メンゲレ、アドルフ・アイヒマン、エーリッヒ・プリーブケといった悪名高い戦犯たちの逃亡と潜伏の詳細が含まれている。
たとえば、メンゲレは1949年に赤十字発行の偽名パスポートで入国し、後に本名で身分証を取得してブエノスアイレスで生活した。また、アイヒマンは1950年に偽名で入国し、家族と共にアルゼンチンで静かに暮らしていたが、1960年にイスラエルの諜報機関モサドによって拘束され、イスラエルに連行されたのち処刑された。さらに、プリーブケは1948年に入国し、パタゴニア地方に長年潜伏していたが、1990年代にメディア報道で発覚し、イタリアに送還された。

これらの戦犯たちは、「ラットライン」と呼ばれる逃亡ルートを通じてアルゼンチンに辿り着き、偽造パスポートの取得や銀行口座の開設を通じて現地での生活基盤を築いていたことが、文書によって明らかになった。加えて、クレディ・スイス銀行がナチス関連の資金を保持していた可能性も指摘されており、シモン・ヴィーゼンタール・センターが調査を進めている。
今回の文書公開により、過去のアルゼンチン政府がナチス戦犯を庇護していた実態が浮き彫りとなった。ミレイ大統領によるこの決断は、ユダヤ人コミュニティや人権団体から歓迎されており、歴史的責任と向き合う重要な一歩として高く評価されている。

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