岸信夫防衛相のツイート
表紙には西元祐貴さんの墨絵を採用させていただきました。
"国を守る躍動的かつ重厚感のある騎馬武者"が描かれています。
素敵なデザインをありがとうございます。 pic.twitter.com/TUYS2qRsjw— 岸信夫 (@KishiNobuo) July 13, 2021
天皇を守護するかのように皇居を向いてそびえる楠木正成像
皇居外苑の南東の一角に、花崗岩の台座に据えられた騎馬姿の武者像が楠木正成の銅像です。この銅像は、別子銅山を開いた住友家が、開山200年の記念として企画し、東京美術学校に依頼し作成し、宮内庁へ献納したもので、高村光雲など東京美術学校の職員らにより当時の技術の粋を集めて作成され、明治33年7月に完成し献納されたものです。本体の高さは4mあり、台座を加えると約8mになります。また、本体部の重さは、約6.7tと言われています。(環境省)
楠木正成
楠木 正成(くすのき まさしげ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての武将。出自不詳。自称は橘氏後裔。息子に正行(まさつら)、正時、正儀。
元弘の乱(1331年 – 1333年)で後醍醐天皇を奉じ、大塔宮護良親王と連携して、千早城の戦いで大規模な幕軍を千早城に引きつけて日本全土で反乱を誘発させることによって、鎌倉幕府打倒に貢献した。また、建武の新政下で、最高政務機関である記録所の寄人に任じられ、足利尊氏らとともに天皇を助けた。延元の乱での尊氏反抗後は、新田義貞、北畠顕家とともに南朝側の軍の一翼を担ったが、湊川の戦いで尊氏の軍に敗れて自害した。明治以降は「大楠公(だいなんこう)」と称され、明治13年(1880年)には正一位を追贈された。また、湊川神社の主祭神となった。
ネットの声
ここで正成像を持ってくるとはさすがの岸防衛相。
大楠公!キタ
皇室の守り神とも言われた楠木正成とは、なかなかやるな。
ほんとに格好いい躍動感があって。
騎馬武者カッコいいですね
七生報国の楠木正成。子の正行も天皇のために自害したんだよな。