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昭恵夫人は、前を向くようにと教えてくれた/夫人の告別式挨拶「本人なりの春夏秋冬を過ごし最後の冬を迎えた」は吉田松陰の『留魂録』からとったと思われます(TNW)

事件

7月14日 16:44 追記 吉田松陰が四時の循環を語る場面(花神:NHK大河ドラマ)

安倍昭恵夫人が思い出させてくれました

タイムラインに流れてきた、佐藤正久議員のツイートを見た時、雷に打たれたような気持ちになりました。

何度かツイートしたように、自分は安倍元総理の死から、何日経っても気持ちを引きずっていました。

それは寄せては返す波のように、一旦落ち着いたと思っていた気持ちがテレビやネットの報道を見ると、引いていた感情が波のように寄せてくるのです。多くの方もそうだと思いますが。

佐藤議員のツイートには、「昭恵夫人の告別式挨拶「まだ夢見ているようです」「いつも私のことを守ってくれました。すごく感謝しています」「本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えました。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」種を芽吹かせるのが我々の責務。合掌」と書かれていました。

雷に打たれたのは「本人なりの春夏秋冬を過ごして、最後の冬を迎えました。種をいっぱい撒いているので、それが芽吹くことでしょう」という部分です。

この春夏秋冬の文字を目にしたとき、日頃何かにつけて愛読していた、吉田松陰の『留魂録(りゅうこんろく)』の言葉を思い出したからです。

(留魂録を知ったのは、23歳の時に父親を末期の肝硬変で亡くした時でした。「人は必ず死ぬ」を体現した時に、早く死生観を身につけなければと考え、いろいろな本を漁って読むうちに留魂録に辿り着きました)

佐藤議員のツイート

間違いなく、昭恵夫人は安倍元総理の故郷、長州の偉人である松陰の『留魂録』からこの言葉を引用したと思います。

ご承知のとおり吉田松陰は自らの意思や寿命ではなく、安政の大獄という弾圧によって命を奪われました。(享年29歳)

吉田 松陰:江戸時代後期の日本の武士(長州藩士)、思想家、教育者。山鹿流兵学師範。明治維新の精神的指導者・理論者。「松下村塾」で明治維新に重要な働きをする多くの若者へ影響を与えた。

井伊直弼によって行われた大弾圧「安政の大獄」

幕府が松陰に疑いをかけ問いただしたのは、梅田雲浜と話した内容と、京の御所に文書(落とし文(ぶみ))を置いたのではないかという2点であり、松陰の主張は受け入れられました。

ところが、松陰は幕府に自分の意見を言う絶好の機会だと捉え、「老中、間部詮勝(まなべ あきかつ)要撃計画」を、自ら告白してしまいます。

人間を信用し、必ず自分の心、思いは届くはずだと考えた松陰ゆえの告白でしたが、幕府の役人は予想もしなかった老中暗殺計画に驚愕します。

松陰が自白したのは、松陰の『至誠にして動かざる者は未だこれ有らざるなり(本当の誠実さを持ちながら行動を伴わない人はいない、本物の誠実さがあるというのであれば、行動しなさい。行動すれば人は動く)という信念でした。

しかし、幕府にはこれが通じるはずはなく、実直な松陰は命を落とすことになります。

この部分をNHKの大河ドラマ『花神』(かしん)で、篠田三郎さんが見事に演じています。👉こちら(1分40秒過ぎから)

松陰の『留魂録』とは

『留魂録』とは吉田松陰が、1859年(安政6年)に処刑前に獄中で松下村塾の門弟のために著した遺書ですこの遺書は松下村塾門下生のあいだでまわし読みされ、松門の志士達の行動力の源泉となりました。

留魂録の名は、松陰の辞世の句「身はたとひ、武蔵の野辺に朽ちぬとも、留め置かまし大和魂」からとったものです。

この留魂録の中で白眉とも呼ばれる部分が、「今日死を決するの安心は四時の循環に於いて得る所あり」から始まる、「松陰の死生観」を書いた部分です。

訳:(今日死を決するの安心は四時の循環に於いて得る所あり)今日、私が死を目前にして平安な心境でいられるのは、春夏秋冬の四季の循環ということを考えたからです。

つまり農事の四季を見ると、春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬それを蔵に入れます。秋や冬になると、人は皆その年働いて実った収穫を喜び、酒などを造って、村は歓声にあふれます。

未だかつて、秋の収穫の時期に、その年の労働が終わるのを哀しむということは、聞いたことがありません。

私は三十歳で生を終わろうとしています。いまだに一つも事を成し遂げることなく死ぬことは、穀物が未だに穂も出せず、実もつけず枯れていくのにも似ており、惜しむべきことかもしれません。

けれども私自身について言えば、これはまた、穂を出し実りを迎えた時であり、何を哀しむことがありましょうか。

何故なら人の寿命には定まりがなく、農事が必ず決まった四季をめぐっていとなまれるようなものではないからです。

しかしながら、人間にもそれにふさわしい春夏秋冬があるといえるでしょう。

十歳にして死ぬ者は、その十歳の中におのずからの四季があります。二十歳には二十歳の中におのずからの四季があり、三十歳には三十歳の中におのずからの四季があり、五十歳や百歳にも、その中におのずからの四季があります。

十歳をもって短いとするのは、夏蝉を長寿の霊椿(何百年も生きる大木)にしようとするようなものです。百歳をもって長いとするのは、霊椿を夏蝉にしようとするようなものです。それはどちらも、寿命に達することにはなりません。

私は三十歳、四季は己に備わり、また穂を出し、実りを迎えましたが、それが中身の詰まっていないモミガラなのか、成熟した粟の実であるなのか、私の知るところではありません。

もし、同志の諸君の中に、私のささやかな真心に応え、それを継ごうという者がいるのなら、それは私のまいた種が絶えずにまた実りを迎えることであって、収穫のあった年にも恥じないものになるでしょう。同志の皆さん、このことをよく考えてください。(同志其れ是れを考思せよ)[留魂録 古川薫訳 徳間書店]

吉田松陰が四時の循環を語る場面(花神:NHK大河ドラマ)

(7月14日 16:44 追記)

「武士と言っても私の家は百姓も同じだ。小さい時から農事はやってきた。

春は種をまき、夏は苗を植え、秋に刈る、冬それをかこう。収穫の時には酒を醸し、甘酒を作り、村中に歓声が溢れる。

人間にも春夏秋冬(はるなつあきふゆ)がある。病床で死ぬ者もそれなりの春夏秋冬がある。長じて死ぬ者も同じだ。四つの季節があることは人生の長い短いとは関わりない。

春、夏、秋、冬、どんな種が実っているか、私にはわからない」

昭恵夫人が言いたかったのは、安倍総理も、総理にふさわしい春夏秋冬を過ごし、そして穂を出し実りを迎えたのだということではないでしょうか。

そして私たちに前を向けと言っておられるのだと思います。

安倍元総理の生き方は松陰と重なるとことがあります。誠実、人柄の良さ、そして何より志(こころざし)半ばで、自らの意思でなく命を落とすところです。また、多くの優秀な弟子を残したところも重なります。

松陰の著名な門下生には久坂玄瑞、高杉晋作、吉田稔麿、入江九一、伊藤博文、山県有朋、前原一誠、品川弥二郎、山田顕義、野村靖、飯田俊徳、渡辺蒿蔵(天野清三郎)、松浦松洞、増野徳民、有吉熊次郎などがおり、総計で約90名余りが松陰の教えを受けたと言われています。

安倍元総理の教えを継ぐ人は、岸防衛相、高市政調会長はじめ数々います。

その方たちが安倍元総理が撒いた種を芽吹かせてくれることを信じます。

参考記事

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(画像:昭恵夫人のインスタより) 改めて、安倍元総理のご冥福を心よりお祈りいたします。

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