改めて「終戦の詔書」を考える
8月15日でいつも思い出すのは終戦の詔書(参照:国立国会図書館)だ。「堪(た)ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ(び)難キヲ忍ヒ(び)」という文が有名なこの終戦の詔書は、昭和20年8月15日正午、日本放送協会(いまのNHKラジオ)から放送された。内容は日本が連合国に対し降伏を受け入れたことを国民に伝えるものだった。
(昭和天皇と玉音放送に聞き入る民衆:NHK、Wikipedia)
この降伏を伝える文章の中で、昭和天皇が心を砕いたと感じる部分が2点ある。1点目は、国民に対する点である。
中程に原文「斯クノ如クムハ(かくのごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ」という文がある。これは、(これ以上戦争を続ければ)、どうやって我が子のような国民を守ることができようか、という意味である。
また、その後に出てくる、原文「帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ(じ)非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ(ば)五内(ごだい)為(ため)ニ裂ク」は、戦死したり、職場で殉職したり、不幸な運命で命を落とした人、またその遺族のことを考えると、悲しみで五臓が引き裂かれる、という意味である。いずれも昭和天皇がこの戦いにおいて、傷ついた国民を真に気遣うお言葉として心に沁みる。
思い出すのは、上皇陛下が天皇陛下として迎えた最後の誕生日に際し述べられたお言葉である。その中で、「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず」と言われた際、感極まってお言葉が詰まった場面だ。
昭和天皇の終戦の詔勅の「五内為ニ裂ク」と、上皇陛下の「多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず」というお言葉は、同じ意味として心に深く残る。
2点目は、終戦の詔勅の中で2度出てくる「皇祖皇宗(こうそこうそう)」という言葉である。皇祖皇宗とは、「天皇の始祖と当代に至るまでの歴代の天皇」のことである。
この皇祖皇宗という言葉が出てくるのは次の2箇所である。1箇所目は冒頭に近い箇所。原文「皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサ(ざ)ル所」は、「歴代天皇の遺した教えであり、私もその考えを持ち続けてきた」という意味に解される。
2箇所目は、文の中盤に出てくる。原文「斯クノ如クムハ(ごとくんば)朕何ヲ似テカ億兆ノ赤子ヲ保(ほ)シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ」は、「そうなってしまえば(日本民族が滅びてしまえば)私はどのようにして一億国民の子孫を保ち、歴代天皇の神霊に詫びるのか」という意味に解される。国民への思いと同じくらいに皇祖皇宗に心を砕かれていたことを感じる。
いま、女系天皇の論議がかまびすしい。現在、126代目となる今上天皇まで男系男子が続いている。万が一、その皇位を男系でない女性皇族が継いだとしたら、昭和天皇、上皇陛下お二人とも皇祖皇宗に対して心を痛めるのではないだろうか。
安倍総理は今年3月の参院予算委員会で「男系継承が古来例外なく維持されてきたことの重みなどを踏まえながら、慎重かつ丁寧に検討を行う必要がある」と述べたが、その言葉どおり、政府は男系男子の重みを考えて慎重に検討してもらいたい。
上皇陛下「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず」(7分過ぎ):宮内庁提供、朝日D)
今日(こんにち)、多くの日本人が昭和天皇がどれほど立派な方であったかということを知りません。教科書もそれを国民に伝えようとしません。これは間違っています(百田尚樹氏 百田チャンネル)
参考記事
(画像:NHK、国立公文書館)